昔のBCLの雑誌などには、よく外国のBCLのシャックにドレークやコリンズなどの送受信機がずらっと並び、その前で持ち主がニンマリと微笑んでいる写真が載っていました。
中学生くらいの私はそれを見て、「いつかは、自分も。」とは思わないまでも、「カッコいいなぁ」と憧れの気持ちで眺めていたものです。

昔は、とにかく物をいっぱい持っていることが、それだけで善であり、勝者であるという価値観が当たり前でした

それが時代が変わり、物をいっぱい持っていることが、むしろ何だかカッコ悪い、スマートじゃないという価値観が、特に若い人を中心に支持されるようになってきました。

いわゆる「断捨離」とか「ミニマルライフ」という価値観で、実は私も一時期その感覚が非常に強くなり、数年前に引っ越しをした時に、とにかく身の回りのものをどんどん捨ててしまいました

特に衣類、本、雑誌は、とりあえず根こそぎ捨てました。
その時にまだかろうじて作動していたRF-2200やICF-5800も粗大ゴミとして捨ててしまいました。

今、机の上に載っているAR-3000やNRD-345もヤフオクで売ってしまおうかと検討たものです。(思いとどまりましたが)

断捨離にはまると、物を買う罪悪感と物を捨てる快感を強く感じるようになります。

その結果、前の住まいでは、本当に必要最低限のものだけが並ぶガランとした部屋が出来上がりました。
受信機類も、何となくミニマルライフに相応しいAR7030だけを部屋に置き、その他のものはクローゼットにしまいました。

当初は、非常に満足していたその住まいですが、数ヶ月経つと何とも言えない寂寥感というか孤独感を感じるようになってきました。

私は、一人でいることに何の苦痛も感じない人間なのですが、その私が逆に何だか落ち着かない気持ちに陥ってしまったのです。

その時、人間の生活には適度に「物」が必要なのではないかと感じたのです

俗世界で生きる私にとっては、ある程度執着できるものが必要なのではないか。

人にとって落ち着いて生活できる「物」の量は、その人の心理状態とバランスをとる必要があって、そのバランスを欠いて「物」を減らすと落ち着かない気持ちになるんだろう、というのが、その時の結論でした。

今は、実家に戻ってきたということもあり、行き過ぎた「断捨離」生活はやめ、自分の気持ちに正直に居心地の良い「物」の量を日々考えながら、過ごすことにしています。